日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。
四方山話4 止(ヤ)めた、止(ヤ)めた
平成16年晩秋、佐賀県立博物館にての「よみがえる肥前刀」展と佐賀城跡に本丸御殿が完成しており、そちらの見学も兼ね、信子さん(私の妻)ともども出向いた。
「よみがえる肥前刀」とは言いながら、肥前刀の話しではない。
日本刀展にはよくある、文化庁や日刀保よりの参考出品(全てが名高い名品)が、入口よりすぐの所に並んでいた。
その一番目が、古備前、正恒(国宝指定)であった。
永い間、あちこちで日本刀を観て来た、一度は国宝、重要文化財指定の名品ばかりガラス越しではなく、手に取って拝観したこともある。(日刀保全国大会にての協会本部4階での特別展)
日本刀の美と、ひとくくりに言うことが多いがそんな事ではなくて、一本の美しく力強い刀があるだけだと思い知った。
ガラスケースの中の国宝正恒を私の能力で書くことはできない。
他の展示刀にも国宝、重要文化財指定刀は多かった。
正恒を前にした後では眼に入らなかった。何度も正恒の前に立った。
他の刀には、はなはだ申し訳ないが、その日は正恒だけで私には充分過ぎた。
会場を後にして駐車場まで歩いていたとき、奇妙な感情が湧いてきた。
「止(ヤ)めた、止(ヤ)めた」
「もういい、これでおしまい」
「かなわない」
言葉にするならこんなところであったが、刀の世界から足を洗うことを考えていた。
今日の正恒が有るのだから、もうそれだけで何も思うことも、することも無い。
多少狂った感覚の中に居たことは間違いない。なぜなら、いまだに刀の世界でもがいているのだから。
正恒を書くことは申し上げたとおりできないが、私が狂わされたのは正恒の伺い知ることのできない力であり、他の何物でもない。
一本の刀の美しさ、力強さが日本刀の美などと構えなくてもいいことを教えてくれた。
会場入り口で、博多支部会員I氏御夫妻とすれ違っていた。あいさつだけで別れたけれど、後日あった折に佐賀での正恒の話しとなったが、私もI氏も言葉がなかった。けれども、私と同じようにI氏も感じられているようで、私はうれしかった。