日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。

四方山話その1 長い一日

2012年07月20日 更新

刀の勉強を始めて間もない頃、なぜか、南紀重国が頭の中ですり込み状態になり、いつか手元に所有したいと思い焦がれていた。
慶長新刀の雄であり、入手できる可能性など皆無であれば、つのる思いは増すばかりといった状態が続いていた。

数年後、ちょうど天狗の鼻がのびかげんよく、目立ちだした頃であったのだろう。
短刀ではあるが”於南紀重国造之”知人を介して我家に入ってきた。
今は忘れてしまったが大枚を支払い入手、後は刀友ともども度を越した祝賀会の日々を重ねることになった。

酔っている間は幸せの絶頂で、重ねる祝杯に何のためらいも無く家人にひんしゅくを買われていることなど気にも掛からなかった。
ところが酔いがさめた分でもなく、浮かれすぎを反省するでもないのに”於南紀重国造之”を手にするのがためらわれるようになった。

気になりだすと、二、三日はよかったが、耐えられなくなるのはすぐであった。
東京代々木の刀剣協会本部に連絡、翌日午後のアポイントをとり訪ねることにした。
旧知の学芸員H氏は厚い台帳を手に、私の顔をのぞきこんで、
“これ買ったの?”
私”ええ・・・”
H氏”たいへんだな!”
これで終りであった。
人間、思考に空白できることが有ると言われるけれど、協会本部を後にして、代々木駅まで何度か方向を間違えたことまでは憶えているけれど、まさに私の頭の中は空白だった。
今になっても何も思い出さない。

短刀”於南紀重国造之”は永らく誰の眼に触れることなく我家に眠っていた。
しかし私は今でも南紀重国が大好きなのです。

鑑定会や研究会で出会う度にいとおしく感じ、ほんの短い間でも、私の愛刀のような気持ちで手にしています。
あの時の空白の長い一日を思い浮かべながら。