日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。

四方山話25 届かなかった手紙

2014年10月24日 更新

「全てに批評の余地なしで御座います。抜郡のスケール酔いしれます。」

私の携帯に入っていたメールです。(十月十日午後7時32分)

小道具(縁頭)の写真を入れ、若松泡沫先生のまねで、勝手な解説を永々と書き、慰めになればと送った手紙への返事でした。

直後に電話が掛かり、よく聞きとりにくいけれど、元気な調子の声で話し続け、体に障るのではないかと気になる程の永電話になった。

「あの合口拵えを自分に譲ってくれ」

「持ってる刀を処分してでも古備前正恒を入手すべきだ」

「小道具を一点々手に入れるより、全て揃った外装拵えを考えるべきだ」

「高名作家の銘の入った品には注意するように」

よく解りましたと合づちを打ちながら、私への注意を楽しく聞かせてもらった。

一週間後、仇討ちとばかりに、又々小道具(縁)の写真を入れ、若松先生の調子で、私の解説をそえ、銘の部分は別袋にして「この作者は誰でしょう」と、入札鑑定形式の手紙を送った。(十月十八日)

十九日は日曜日、二十日に渡ったとしたら、メールか電話が入るだろうと、心うきうき待っていた。

思惑どおり、午後七時過ぎ、携帯の呼び出し音が鳴った。

「○○は本日午後三時四十分、亡くなりました」
奥さんからの連絡でした。

一昨年十二月二十日頃、彼は入院した。以来一年十ヶ月の壮絶な闘病生活はよく知っていた。

電話、メール、手紙、折にふれ交換し合った。

この間、私が彼に会ったのは、今夏、最後の入院となった病院での一度だけでした。

彼の愛刀 全身押型額装と合口拵、鐔一枚、小柄二本を持っての面会でした。

「○○さんから、時折、たよりに剣友とか剣兄とか書いてもらい、実に気分がよかったので、おすそ分に、これから、あんたの事を剣友と呼びます」

と伝えると、大袈裟なくらいに喜んでいた。

話したことは刀関係のことばかり。

私の連絡に死の十日前にメールを送ってくれ、電話を掛けてくれた。

彼の刀に関する情熱を体感できたことが、何と表現したらよいのか解らない程うれしい。

この身に沁みるうれしさを忘れないようにして、今後の刀道楽を続けて行こうと思っている。

最後の手紙は届かなかったけれど、今から通夜と告別式にでかけるので、そっと棺の中に入れてもらうことにしよう。

剣友よさらば、まだ、自慢したい品が有ったのにできなくなったことが口惜しい。

一品だけ、どうにかして見せたいと思っていた鐔を一枚ポケットに入れておくので、勝手にのぞいてくれたまへ、下手な解説はありませんので。