日本刀は古くからわが国が誇る鉄の文化財です。

四方山話3 レンブラントと銅像とカレンダー

2012年08月06日 更新

京都の国立美術館に大レンブラント展が掛かっていた。
大レンブラント展、さすが京都美術館。今頃、私の目の黒いうちにこんな催し二度と有りはしないと、レンブラント・ブランドに少々狂った状態になり、信子さん(私の妻)と一緒に京都行きとなった。ちょうど翌日曜日に、岐阜羽島にて日刀保東海地区大会が開かれる。私はそっちにも行くことにし、信子さんは大津に住む親友宅訪問と、互いに都合の良い事はすぐ話がまとまる。京都駅から美術館まで歩いて行った。
レンブラント展は人の多さにヘキヘキし、レンブラント熱も薄まってしまったのはこちらの都合で決してレンブラント展が魅力の無い物だったのではない。
しかし人込みに疲れてしまい。
翌日の京都駅着を打ち合わせ、信子さんは大津へ、

駅前左側に小さなビジネスホテルが有り、そこに入った。
閑散とした静かなホテルであった。
翌日の会場をたずねると、ホテルより歩いて10分位とのことであった。

中央分離帯が有り、片側二車線の立派な道路が真すぐのびているが、車は寂しい位にしか走っていない。
小さなビジネスホテル同様静かで朝の散歩にはかっこうの場所であったが、ほんの少し歩いたところでものすごい物に出会った。

立派で大きな台座の上に、御夫婦の銅像が立っていた。高名な政治家御夫婦であるらしい。この田園風景の残る岐阜羽島駅前には全く似合っていない。そのものすごさは夫婦の銅像であることにある。
私は銅像のたぐいは嫌いだけど、この銅像には目が釘付けになり次に急いで通り過ぎた。

さて、東海地区大会、九州から参加しているのは私一人で気楽なもので、じっくりと観刀できた。名品ばかりであったが私がしばし立ち止まったのは初見の善定兼吉刀の前であった。感動は突然やってきた時程記憶に残る。

兼吉刀だけで充分の成果と思っていたけど、会場を出る時、りっぱな美濃紙に全身押型をあつらえた翌年度のカレンダーをいただいた。(東海地区大会は12月の開催だった)

事務室の壁に張り、毎日眺めて過ごす一年になり、それ以来十年間、私室と事務所で岐阜県支部発行のカレンダーを一年中眺めている。
(押型はほとんどが美濃刀で全国に美濃刀を宣伝しようとの近藤支部長の陰謀ではないかと思えてならない。)

とにかくいい旅だったと今だに思っている。