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四方山話8 代作代銘とは!!

2012年10月30日 更新

堀川一門の掾こと大隈掾正広は、師 堀川国廣の代作者と言われている。定寸のものは現存十四振との記述が藤代名刀図譜に記載されている。

ところが、正広の刀で重要文化財に指定された物があり、その実力の程は容易にうかがうことができる。

実存数の過少が国廣の代作者としての裏付けになっているのだろう。
この代作を何と解すればよいのか、解っているようで解らない。

国廣銘の刀で、正広代作と指定される物が有るのかどうかが まず第一。数多い国廣銘の刀の内、正広以外にも代作者がいるとのことであるが、その割合はどの位であるのかが第二。
考え出すと、第三、第四と疑問点が次々に浮かんでくる。(どうもこの点には触れてはいけないようだ)

ところが、同じ慶長新刀の西の雄、肥前国忠吉(初代)の寛永年間の武蔵大掾銘は○○の代銘(多分代作も)とはっきり明示された刀が数多い。それでもこれらは、偽銘扱いはおろか、代作代銘にとらわれるべきではないとのやさしい評価がされているようである。

そのくせ、武蔵大掾銘の刀を前に、これは初代忠吉自身銘であるとの自慢話は所有者は元より、色々な折に耳にする。
いささか、矛盾するのではないかと思うが、この点に触れた話はほとんど聞かれない。

いっそのこと初代忠吉の武蔵大掾銘は代作も代銘も無視して同列に扱えばいいと思ってしまう。(多分できないのでしょう)

国廣、初代忠吉に限ったことではない。時代を鎌倉時代にまで登って考えてみることもできる。

備前長船長光には代作者が居たのではないか、長船兼光は二代説があったくらいである。初代兼光没後、代作者が兼光を名乗ったと考えられはしまいか、だとすると初代兼光の中には代作、代銘が存在することになる。

これに終わらず、逆のことも時代を下げれば考えられる。虎撤はどうか、助廣、真改は、これらの作品に代作代銘はほとんど聞かない。全てが偽銘扱いになるが、間違いないのか。

この四方山話は軽いことが第一で全て思い付きをいいかげんに書くことにしているが、今回はチョットばかり固い話になった。むろん浅学の身である。充分馬鹿なと思われてかまわない。世迷い事は世の常、刀剣愛好など、世迷い事の最たるものと言えなくもない。

右往左往して一歩も進んでないことに気落ちするのが刀剣愛好家の常だと思う。しかしながら止めるに止まず、永々と気落ちを繰り返すのは、刀めには絶対的な魅力があり、そこに取り込まれて続けていると、ある日はっとするような御刀に出合える事が千に三つ位は有るからです。

皆さん短い人生、気落ちにくじけず、千三ツが有ると信じて永々と続けましょう。